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「上野村の奇跡」はこうして実現した

「過疎」の悪条件を乗り越える知恵と勇気
上野村 神田強平・前村長に聞く

PROFILE

神田 強平さん

神田 強平 (かんだ きょうへい)

【経歴】

昭和24(1949)年、上野村生まれ。
昭和43(1968)年4月、上野村役場へ入職。
以降、総務課長、事務業部長、産業振興対策担当理事等を歴任。
平成21(2009)年5月に、上野村長選挙に立候補し、当選。
黒澤丈夫村長の教えを胸に、役場での経験を生かし、
上野村を次なる一歩へ踏み出させるための施策を次々と打ち出す。
平成29(2017)年6月、2期8年務めた上野村長を退任。
後進に道を譲った。

何が一番大事かと
いえば、
村民の健康です

「栄光ある上野村」を
つくっていこうじゃないか

編集部上野村は人口1192(10月1日現在)人の村で、耕作地も決して多くない。普通なら存続がむずかしい集落と思われますが、バイオマスの有効利用や観光をはじめ、目を見張るような経済を展開していますね。

神田耕作地は少ないけれど、村の96%が森林。だから、これを利用しない手はない。

編集部村が発展したくわしい中身をお聞きする前に、少し歴史をひもときたいと思います。
いまの上野村の姿をつくられたのは、黒澤丈夫・元村長とうかがいました。

神田黒澤丈夫さんは、昭和40年(1965)から十期村長をされた方です。旧海軍のパイロット出身で、昔気質。だけど、ひじょうに物事を柔軟にとらえ、しかも先々のことをよく見通していて、いまの上野村の基礎をつくられました。

編集部神田さんは、部下としてつかえていらしたわけですが、具体的に黒澤丈夫さんはどんなことを考えていらっしゃったのでしょうか。

神田一期目に4つの柱をつくったんです。
第一が、健康。
何が一番大事かといえば、村民の健康です。だから、村民の健康をどうやって維持するか、っていうことを、重要課題にした。 
そのつぎに道徳精神。
道徳ってものは、人間が生きる上で大切なことです。それをきちんと村民に理解をしてほしい。それがあってはじめて、第三の「物を知る」っていう、つまり知識を身に付けてほしい、ということにつながる。
最後は、「次の経済」。
この4つは、長期ビジョンとしてつながっているんですよ。

編集部いま、「次の経済」とおっしゃいました。単に「経済」ではなく、「次の経済」、というのは、どういう理由でしょうか。

神田いまの経済というのは、過去に、「これからこういう経済にしよう」と考え実行した結果です。
つまり、生き続けるためには、いまの経済をきちんと回すのは当たり前だけれども、「次の」経済、未来の経済を考えないと、長期的な維持発展は難しい。

編集部すると、黒澤丈夫さんが村長になられた昭和40年から、上野村は「次の経済」に向けて動き出した、ということですね。
当時の村の状況というのは、どういった感じだったのでしょうか。

神田黒澤丈夫さんが村長に就任した頃は、他の市町村もそうだったかもしれないけど、村の財政に対してみんな、そんなに関心がなかったんですよ。
予算があって、それに基づいて業務執行するわけですが、それがあんまりできてない。簡単に言えば、「どんぶり勘定」だったんです。で、黒澤丈夫さんは几帳面な人だから、「どんぶり勘定」を何とかしようとした。
そして、県に頼んで財政の専門家を呼んで、職員を教育することから、はじめたんです。
さらには職員だけでなく、村民の意識も改革していく。それがいま触れた「4つの柱」ですね。

編集部黒澤丈夫さんは、最終的にどんな理想を持っていらっしゃったのでしょうか。

神田最終的に、何十年後になるかわからないけれど、「栄光ある上野村」をつくっていこうじゃないかと。村民自身が自分たちで誇れる村をつくる。

編集部黒澤丈夫さんは、「上野村を遺す、と決めた」という言い方をされていたそうですが。

神田村を遺す。つまり村民が誇れる村を遺す。村民が誇れる村っていうのは、村民が生き生きと生活できる村っていうことですよ。

編集部いわゆる「町村合併」と「村を遺す」ということには関係がありますか?

神田村を遺すっていう話が出てきたのは、やっぱり「町村合併論」が始まってからですね。
合併していい町村もあれば、そうでない所もある。合併したことによって、本来あるべき集落地域の姿が無くなっていく可能性がある。それはやっちゃいかんよ、というのが、黒澤元村長の持論でした。

編集部神田さんは、黒澤元村長のこういった考え方について、どのようにお考えですか?

神田要するに「この村に住み続けることができる」、という理由を作る。言い換えれば、「経済を作ってそこで人を活かす」、ということだろう、と。
財政の問題でいえば、過疎債、地方債を上手く利用しつつ、無駄遣いしないで、毎年基金を積み立てた。やっぱり、活かすためには計画がなきゃだめだよね。
国からもらった金は無駄に使わない。ちゃんと増やして回すんだ、ということなんです。

経済が大きくなれば村に人が集まってくる

編集部神田さんがやってこられた村政というのは、どのようなものだったのでしょうか。

神田農林振興ですよ。
農業の方は、まず、付加価値のある農業にしていきたいと。で、それには加工しかない。
色々な人間のつながりがあって、アイデアも、実行のための計画もつくることができた。また、販売についても、自分が職員の時にいろいろ開拓をしていたから、「いいものさえできれば、売る要素は相当あるな」、という思いの中で、早く手がけられました。

編集部林業はいかがでしたか?

神田林業は、完全に事業形態でやった場合、採算が取れないんですよ。これは木材の価格の問題があるわけです。
昔みたいに「1立方メートル=4万円」で買ってくれる時代はいいですよ。でも、今は市場へ出して、1立方メートルで1万2千円くらいだと思いますよ。そうすると、山から切り出して運搬して、市場で買ってもらうまでのコストがどれくらいかかるかっていうことなんですよ。
赤字にしないためには、1立方メートル2万5千円ないと無理なんです。

編集部国や県の補助があっても足りない?

神田足りません。で、村が独自に、一定の単価を決めるわけです。
搬出間伐1ヘクタールあたり、45万円以下じゃやらない。もし足りなかったら、45万円に届くまでは村で全部補填するから、これをやってくれるかい、って言ったら、林業事業者のみんながやりましょうと。それは総意で決まったわけですよ。

編集部村での補填は、負担が大きかったのでは?

神田搬出間伐で一番良い補助金は37万円だったと思います。そうすると残りの8万円は村が単独で経費を出す。私はそれを国に行って、言ったわけですよ。
「戦後、『植林を指導しろ』と国が言うからやってきたが、その山を守っているところに、『負の遺産』が残っているんだ」
と。それは国が補助金という形で、なんとかしてくれないかという話をしたんです。
最初は全然受け付けてくれなかったけど、林野庁もだんだん態度が変わってきて、結局黒字になるまでになった。

編集部なるほど。「間伐」という素材の生産が安定したわけですね。しかしそれに、どうやって付加価値を付けていこうとお考えになったのでしょうか。

神田その時にはね、ペレットだったわけですよ。

編集部ペレットは、かなり利益の出るものなのでしょうか。

神田いえいえ、ペレットはね、作れることは作れても、売れません。外へ向けて売ったらおそらく採算とれないんですよ。
じゃあどうするか。
私は、「トータル産業」ということを考えた。いわゆる「林業の6次産業化」です。
第1次産業・第2次産業で生まれた産物を、すべて村内で消費する方法を考えた。
たまたま上野村には鉱泉があって、ホテルが2軒、日帰り温泉があり、福祉施設もある。もちろん学校もある。こういうところに全部、ペレット用のボイラーを入れて、村の中にお金が落ちるように、施設を整備したんです。

編集部単にペレットを生産するだけではなくて、その受け皿を、村内で作ったわけですね。

神田そうすれば、コストを村内で決められるわけですよ。ペレットの場合はだいたいね、原価計算が、1キロあたり43円以上じゃないと黒字にならない。それをバイオマス発電だけ23円にしたんですよ。

編集部え、それだと赤字ですね。

神田赤字ですが、それには戦略があり、素材生産を安定にするため単価補償し、森林所有者にも1立方当たり3600円を担保して、赤字を木質バイオマス発電事業に集約したのです。
今後送電線の規制が無くなれば東電への売電で赤字は解決するとともに、バイオマスやペレットのおかげで、経済が10億円から12億円おこりますよ、と。これだけの経済が回るんだったら、どうですか、っていう話を村議会でしたら、議員さんがみなさん賛成してくれた。

編集部「経済」が、村で生まれるわけですね。

神田その結果、どうなったか…。
たとえば私が村長になったとき、150名のIターンがいたんですけれども、いまは100人増えて250人強いる。経済が大きくなるってことは、そこに人が集まってくるということにつながるんです。

我々は50年前から、
地方創生をやってる

村民を助けられないのなら
村長でいる必要はない

編集部さきほど、上野村に住む若者二人にお話を伺ったのですが、「上野村は良いところだ」と。村の外に出て、帰ってくると、「帰ってきたー!」と実感できるんだとおっしゃっていました。
もちろん仕事は大変だけれども、ここに安心して住んでいられる、つまり村に安心感をもっているからやっていける、という感じを受けました。

神田若い人がそう感じてくれるのは、本当にうれしいことです。

編集部そこには、いま神田さんがおっしゃった、「生きた経済」、これを新しくつくってきたからこそ、人を引き寄せているように思えます。
黒澤丈夫・元村長、そして神田さんが村長としてつくってきた流れを、さらに新しい流れにする。その流れが、上野村に引き寄せられた人たちの中からもわき上がってくると、素晴らしいですね。

神田そこでやっと、「栄光ある上野村」というものが出てくるんですよ。

編集部上野村の、これまでの動きをお聞きしていて感じるのは、「地方創生」というのは、実は半世紀以上かかるものなのかもしれない、ということです。

神田我々は50年前から、地方創生をやってるわけですよ。
たとえば黒澤丈夫・元村長は、村の人口が減っていくことを「人口急減病」と名付けました。
で、今の「やまびこ荘」(村の宿泊施設)を作る時に、県に働きかけてたわけですよ。お金貸してほしいって。そしたら、「お前みたいなところは、観光業なんて成り立つわけがない」と。
黒澤丈夫・元村長は、こう切り返したね。
「あなたは家族がいるでしょう。あなたは結婚して子どもができたら、その子たちのためになにかしようと思わないのか。その子どもの、さらにまた子どもために、なにか助けようとは思わないのか」、と。「私は、村長だ。つまり私にとって村民は私の子どもなんです。それほど大切なんです。私が村民を助けてあげられなければ、私は村長なんかしてる必要はないんだ!」と。
こういう話を、村長一期目にですよ、村長になってわずか2年や3年で、本庁行ってですよ、自分の想いを100%言えた。普通はなかなか言えませんよ。でも、黒澤丈夫さんは切々と訴えて、その年に、「やまびこ荘」が起債の対象となって、はじめて観光の拠点が出来たわけですよ。
それは人口減少対策。どうにかしてここに雇用の場を増やしてですね、まずは、移住者ではなく村から出ていく人たちを、どのように止めるか。そこから始まったんです。

お金がちゃんと「生きて」いるのか

編集部いろんな政策の立案、実行、あるいはその政策に賛同し協力する、ということで言うと、個々人の力がとても大きなポイントになる気がしますが。

神田まず、一番大事なことは職員の質。ここでほとんど自治の運営の成否が決まる。村づくりっていうのは、人づくりなんです。

編集部やはり「できる人材」でないといけない、と。

神田いやいや、できる人間ほどうまくリードしていかないと育たない。役人もそうです。
私はよく、「自分でテーマを作れ」と言ってきました。そのテーマの中で責任をとれ、責任を感じて仕事をやれと。
ところが、頭はいいかもしれないがテーマ設定ができない。ボールが投げられない。そういう人がけっこういる。

編集部なぜなのでしょうか。

神田自分がないから。「こういう村づくり、町づくりをしていこう」、というビジョンがない。なんの戦略もなく、思いつきで誰かと会って、なにかを誘致してみようとしたって、そりゃあうまくいきませんよ。

編集部黒澤丈夫さんが村長時代は、まさにビジョンをつくって、神田さんが村長になられてからは、そのビジョンをどんどん具体化されていったような印象を強く受けます。

神田黒澤丈夫さんの村長時代、私は朝5時に村長の自宅に行く。自宅で話を詰める。
あの人は色んな世の中を歩いている。例えば淡路島に五色町というのがあって、そこに保健・福祉・医療が一体化した大きな病院がある。だが、上野村はそうじゃないんだ、と。「神田くん。役所と社会福祉協議会を分離しないで、一緒になってやるような形、作ってくれないか」、と。
そうなると、私が具体的に詰めていかなくちゃならない。

編集部そして実際につくられたわけですね。

神田ええ。保健福祉・医療・介護、全部一体化。その施設が全部つながって、必ず月1回は医師をトップに調整会議をやって、問題を共有して、その解決を、お互いの分野でやる仕組み作りをした。

編集部黒澤丈夫・元村長は、具体的な指示をされたのでしょうか。

神田そういうこともあったけど、ほとんどは大きなビジョンだよね。で、我々に振って、「自分たちの頭で考えろ」と。

編集部黒澤丈夫さんというのは、部下から見てどんなお人柄だったのでしょうか。

神田私は昭和58(1983)年に木工の担当でした。木工営業で日本中回っていた。ほとんど上野村にいなかった。東京の日本橋の三越なんかしょっちゅう通って、名古屋、大阪をはじめとした関西各地にも行きました。あと、九州の福岡。
6年間、家庭用の漆器を販売していました。
私が相手にしたのは100%民間。だからまあ、役所相手とは違う大変さがありましたね。
で、たまに村の事務所に帰ってくると、黒澤丈夫さんが他の職員に、「神田くんのところに行って『ご苦労さん』とひとこと、声をかけてやってくれ」って。
黒澤丈夫さんからも、「神田くん、体は気をつけてくれよな」、って。短い言葉ですよ。だけどね、それが、ジーンと胸に来る。ああ、わかってくれているんだ、って。そういう人でした。

編集部神田さんが黒澤丈夫さんから引き継いで村政を担われたとき、黒澤丈夫さんの構想を実現すると共に、神田さんご自身の新しい構想も実行されていくわけですね。それはなぜ実現できたのでしょうか。

神田ほとんどは人。いい人に巡り会えた。
山梨県道志村で自然エネルギーを指導されている先生とたまたま縁ができた。で、「先生、上野村に来てくれないか」ってお願いしたら、すぐ来てくれた。そこで初めて出たのが、バイオマス発電。

編集部何年ほど前でしょうか?

神田5年前。さきほどペレットの話で触れた、「12億円の経済規模を作る」というやつです。
このバイオマス発電の話をしたら、農水省の幹部が、「村長、これを日本中にばらまけ」と。
国、あるいは県でも良い人に巡り会えて、応援をしてもらって、いいアイデアをたくさんいただいて、そうして今がある。

編集部地方が主体性をもって、自分たちが使っているお金がちゃんと「生きて」いるのか、利益がきちんと出ているのか、村民、町民、市民の幸せにつながっているかどうかということを、チェックしてほしいですね。
ただ単に「お金ありがとう」、ではなくて、子や孫の代まで生きる形で使われているのか、ということを、高い次元でチェックしてほしい。
どうすれば、地域で使われているお金が地域の人にとって長期的にプラスになっていくのか。そういう仕組みが大切だと、感じます。

上野村は、
バランスがいい
満足度の高い村だと
思っています

「本物の経済」を、面倒でも
時間がかかってもつくっていく

編集部総務省は、「人口10万人より少ない自治体は自立が難しい」と考えているようで、できるだけ合併する方向に誘導していきたいと。神田さんはどうお考えですか。

神田「自立」の定義は何なのでしょうか。何をもって自立か。お金の問題だとは思うが、われわれから言わせれば、国なんかに絵を描いてもらう必要はない。

編集部もともと、ちゃんとやってる自治体にとっては、それが人口10万人以下でも、「余計なお世話」ということになるかもしれません。が、約1700ある自治体のうち、かなりの自治体が苦戦しているのもまた事実ですね。その点、上野村が善戦しているポイントは、何なのでしょうか

神田上野村は、バランスがいい村だと思っています。すべての水準が高いわけではないけれども、満足度は高いのではないでしょうか。
派手なことばっかり狙っちゃいけないんですよ。
地道に、本物を作り上げていかないと。「本物の経済」を、面倒でも時間がかかってもつくっていく。自治体の運営はそうであるべきです。

編集部実際、神田さんが村長を御退任されるとき、バイオマス発電所をのぞいて、きのこセンターに若干の赤字があったわけですが、これも今では黒字になりました。

神田きのこセンターは今後、廃菌床を乾燥させて、コークスにする企業に販売が決まっており、産業廃棄物が資源になるので、経営も良い方向に向かっている。

編集部まず赤字覚悟で、先行投資。毎年1500万円の赤字は、きのこセンターで物を売り出すための先行投資なんですね。
コスト安で回して商いの流れ(商流)を作り市場ができれば、しめたもの。そこが広がっていけば、赤字も減っていく。

神田もう一つはね、準公共団体。森林組合、農協、振興公社。振興公社は私が社長になってからほとんど黒字。農協、森林組合は赤字だった。これを全部、黒字になるような仕組みを作った。
林業は必ず黒字を担保する。その代わり頑張ってもらわないと黒字にならないよ、というやり方。
農協もそうだった。あそこは純粋に赤字。それを今の村長が担当課長の時に指示して、「全部仕組みを変えてみてはどうか」と。そうして農協が黒字になる仕組みを作った。猪豚の生産もそうですが、管理を農協に委託している。

「自治体の経営は、理想実現のために
お金をいかに有効に使うか、ということ

編集部村長っていうのは、上野村でいえば、「上野村株式会社の社長」、ですよね。

神田やっぱり、村で一人だけの首長という立場は、なかなかしんどい。こんな小さな村でも、トップになると24時間、年がら年中、村のことを考えている。首長になったら、何が今発生するか分からないじゃないですか。必ず連絡はトップに来るからね。どんなことがあったって。
私が村長時代、幸いだったのは、いい職員を持ったおかげでずいぶん苦労を軽減してもらった、ということです。

編集部いま、課題に思うことは?

神田林政の価値観をどう都会の人たちに認めてもらえるか。これは科学的なデータがなさすぎる。
森林はいま、71兆円の自然の価値ですよ。その価値を誰も認めていない。
人が住むことによって守られる、一番大事な源流域。ちゃんとした管理をしておかないと保水機能は保てないんです。下流域の人たちは「上から水が流れてくるのは当たり前だ」というが、そうじゃない。

編集部いろいろお話をうかがってきましたが、そろそろ時間がまいりました。
黒澤丈夫・元村長時代からつづく、上野村の飽くなき挑戦。その大きな一翼を担われた神田さんのお話は、本当に示唆に富むものでした。
村に、「生きた経済」をつくる。
村に、「誇り」をもてるようにする。
そのために、「人づくり」をする。
最後に、読者にひと言お願いできますか。

神田自治体の経営というのは、理想を持って、その理想を実現するために、お金をいかに有効に使うか、ということです。
時間も手間もかかります。でも、必ず結果は出る。これからも若い人を応援しながら、村のために尽したいと思っています。

編集部ありがとうございました。

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