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【たつレポ vol.2】福田たつお対談 佐藤由美子(フリー・アナウンサー)さんと熱く語り合った「女性」x「働く」の新しい切り口!

2014/06/09

父とプラモデル

今号では、フリー・アナウンサーの佐藤由美子さんと「檜物町コワーキング・スペース」にて対談!働く女性のための施策などについて、お話しができました。

フリー・アナウンサー佐藤由美子さん 福田たつお

佐藤由美子さんProfile
群馬県出身。NHK前橋放送局専属キャスターを経て、現在はフリー・アナウンサーとして(株)ラジオ高崎のパーソナリティーを中心に司会やナレーションに従事。若者の就業支援や女性のキャリア支援を勉強中。二児の母として子育てにも奮闘中。

佐藤「喋るのが苦手」とお聞きしましたが。

達夫そうなんですよ。黙って地道に仕事をするのが好きなんです。でも、お話を伺うのは好きです。好奇心が旺盛なのかも。

佐藤好奇心ですか?

達夫我が家の血かも知れません。祖母が94歳の時、「ある政治家の事務所で、マンゴーの種を発芽させるのがはやっている」という話をしたら、「なにそれ?私もやりたい」って食いついちゃった。その後、2メートルぐらいになるまで育てていました。去年101歳で亡くなったんですが、最期まで好奇心旺盛でしたねぇ。

佐藤素敵な方ですね。血を継いでいらっしゃる(笑)。血ということで言うと、政治家ご一家ですが、もし政治の世界に進まなかったら、どんな職業に就かれたと。

達夫幼稚園の卒園アルバム。普通野球選手とか書くじゃないですか。「わからない。でも宇宙船の運転手」って書いてあった(笑)。

佐藤へぇ~(笑)。

達夫月にロケットが飛んだ頃、父が僕の背丈よりもデカいアポロのプラモデル作ったんです。狭いアパートだったから、シンナーの臭いで一晩中苦しんだんだけど、その印象が強かったのかなぁ(笑)

佐藤でも普段から色んな政治家の方を見ていて、政治家になろうとは?

達夫思いませんでした。父は、祖父の生活と我々子どもたちの生活をきっちり分けてくれたんです。父自身も石油会社のサラリーマンでしたし。だから僕も就職する時は、「日本は経済の国。その現場で働きたい」ということで商社に行きました。

大きなきっかけは「屋台村」

佐藤働く、ということで、きょうはいろいろ伺いたいです。

達夫僕は中小企業政策を中心にやっているんです。簡単に言うと、地域の自律する力をどうやったらつけられるのか。ここに安心して暮らすには、どうすればいいか。そのための「稼ぎの場」をどう作るのか。商社の調査部時代から地域経済をずっと見てきて、地域の目線での経済政策をやらないとダメだ、と思ったんです。

佐藤どういうことでしょうか。

達夫同じ群馬県の中でも、西毛に合う政策が、東毛に合うとは限らない。国政は、世界や歴史の大きな流れに沿って大枠を示すのが仕事。「人の暮らし」を本当の意味で支えるのは、地域です。地域が、自分たちの持つ特色を最大限引き出すことで、支えられる。

佐藤地域のお話しが出ましたが、高崎は最近、すごく変わり始めていると思いませんか?

達夫これまで蓄積してきた力が、少しずつ繋がり始めた感じがしますね。元々高崎は、「町場の力」が原動力だったのですが、それが立ち上がり始めた。中でも「屋台村」って大きかったと思うんです。あれを企画し推進した人たちの力、大きいですね。それに留まらず、県内の他の地域でも新たな萌芽が見えます。この芽をどう護り育む手伝いをするのか。それが僕の今の立場での仕事の一つだと思います。

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