2015/08/21
福田達夫の活動の一端をお伝えいたします。
日本航空123便の犠牲者慰霊のための、灯籠流し。上野村役場前の河原で、薄暮の中、手づくりの灯籠が川に流されました。
明日18時56分で、事故発生から30年です。
新盆で、今日は朝から、藤岡そして奥多野へ。
これまでは「父祖がご恩のある方々」へのお別れでしたが、だんだんと「自分自身がお世話になった方々」へのお別れになりつつあることが寂しいです。毎年この時期は、「次への責任」をあらためて感じます。
そんな中、藤岡市の某旧家に掛かった看板。
藤岡市の誇る酒蔵、高井酒造さんが、特約店に配ったと思しき看板なのですが、これを見ると、当時は醤油も醸していたのですね。
なかなか広範に地域を回ることが難しくなってしまっていますが、このように時間をかけて地域を回らせていただくと、さまざまな財に出逢います。
数十カ所で、あらためて多くの繋がりに気付かされた後、暑い中にも涼風の吹く上野村へ。
慰霊の園の理事長を務める、神田上野村村長の開会の辞に、「30年の月日に薄められたかも知れない痛み」「それでもなお残る傷」といった段がありました。
→福田達夫が、Facebookでさらに想いを語っております。
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今日も、永年お世話になってきた方々へのお参りへ。
60年以上にわたるお付き合いの幅の中で、地域に関するヒントや、父祖との関係、人生そのもののヒントなど、お話の中からさまざまなものをいただける機会はとっても貴重です。
祖父の揮毫を拝見することも楽しみの一つです。相当数を拝見してきた結果、いつ頃の揮毫かほぼ目利きできるようになりました。
今日伺ったお宅での2扁は、初めて拝見した字です。
両方とも、祖父の若かりし頃からのお付き合いをいただいた方なのですが、特に一つは、「福田」の名前も織り込む珍しいものでした。
代を重ね、大切にしていただいているということのありがたさを、改めて思います。
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